2014年11月19日水曜日

広島旅行と原爆ドーム

今年の夏は広島へ旅行に行って来ました。
2泊3日で鞆の浦、尾道、大久野島、竹原、原爆ドーム、宮島へ行く広島横断旅行。
とても忙しい日程でした。

人生初めての広島。
一番衝撃を受けたのはやはり原爆ドームだった。

 私が戦争を初めて知ったのは小学生のころに読んだ裸足のゲンだったと思う。その後ホタルの墓だったり、歴史の授業で戦争が悲しい過去だと知った。ただそれは紙の上でのことで正直本当にあったことだとは思えなかった。
 祖母から戦争当時の話を聞いたことがあった。祖母はそのとき疎開をしていてそれがどんなに大変だったか、今の人たちがどれだけ恵まれているのかという内容だった。リアルな体験者の話ではあったが、それは空襲のない場所の話だった。
 色々な話を聞いて戦争のことを知ったつもりでいた。しかし、実際に原爆ドームを目にしてその考えは甘かったことに気がついた。
 友人と2人での旅行最終日に原爆ドームを訪れた。原爆ドームの前まで行くとその場所の空気が他とは違った。原爆ドームの周りには何人もの観光客がいたが、その誰一人騒いでいる人はいなかった。全員がその悲惨な姿に何か思うことがあったのだろう。
崩れかけたレンガ造りの建物にそのままのがれき、壊れる前の写真を見て初めて原爆の威力を知った。頑丈な建物でさえこうなってしまうなら人なんて簡単に吹き飛んでしまったことだろう。
 原爆ドームを見た後に平和記念公園内にある平和記念資料館へ行った。広島の原爆がどれだけの被害をもたらしたのかその全てがわかる場所だ。
原爆の被害にあった広島の模型や写真でその範囲の広さに驚き、
原爆が落ちた時に身につけていた遺品を見て痛かっただろうとその苦しさを知った。
その後、原爆の被害で病気になり苦しみながら亡くなった人の話や
行方不明の子どもを探しまわった人の話を聞き想像以上の惨事に悲しくもなった。
人が簡単に死んでいく、こんな悲しいことは無い。

原爆ドームをこの年齢で見ることが出来て良かったと思う。
もう少し若ければ理解もできなかっただろう。もっと年齢をとってからではまた違う思いで見るのだろう。
今このタイミングで見たこと、感じたことをこれから先の長い人生で忘れずにいきたいと思った。

戦争は過去のことで平和な日本の姿しか知らない私には、
これから先も当時の本当の大変さや悲しさを知ることはできないのだろう。
ただ戦争という過去の上に今の私がいるという実感はできた。
戦争の怖さを知る人がいない世の中にならないよう、私が知ったことを伝えて行きたい。

2014年11月10日月曜日

バイト、初めました。

カメラマンになるんだ!そう思ってから行動に移っていなかった私。
カメラマンといってもその種類は細かく分けられていて、それがどんなものなのか曖昧にしかわかっていません。自分がどんなカメラマンになりたいのかぼやけた理想は持っている。毎日朝から晩までスタジオで働く姿は想像できてる。しかし、それが実際私に向いているのかがわからなかったのです。
そこで、行動力の少ない私にしては珍しく衝動的に写真館のバイトに応募をしました。
それは、この時期に多い成人式や七五三の写真を撮るスタジオのバイト。写真を撮る訳ではないけれど、カメラマンの仕事を近くで見れる。短期だから合うかどうかわからなくても安心だった。実際、バイトに入ってみて感じたことは
私が目指しているのはこのカメラマンじゃない。ということ。
振り袖を着て奇麗に着飾った写真を残せるのは素敵なことだと思う。家族写真を撮る姿に羨ましさを感じた。しかし、何か違うと違和感があった。
1日働いて疲れた頭でどうして違和感をおぼえたのか考えてみた。その結果わかったのは流れ作業のような撮影が嫌いだということ。全員に同じポーズを撮らせて、それを撮影する。もちろん、人によってカメラマンはかけ声を変えたり小物を変えたり角度を変えたりしていたけれどキホンは同じだった。出来上がりの写真は素敵だったけど人によっては全く似合わないポーズだと思ってしまった。
わたしは一人一人に向き合った写真が撮りたい。記念写真を撮るならしっかり話し合ったうえで撮りたい。そう思えた。
まだバイトは続くし、責任感を持って働いていこうとは思います。今回は技術的にも何の収穫も無かったけれど、自分の撮りたい写真というのが少し見えてきた気がするのは一歩前進できた気がします。